吉五郎伝説

戻る

 ここでは、小牧に伝わる吉五郎にまつわるお話しを紹介します。なお、読みやすくなるように文章を要約したりしてますので、原文のままではありません。

 

 はじめに

 元々、吉五郎のお話は創作伝説として、寛永年間(1624〜44)に作られ、明暦・天明の頃(1751〜89)に広まったとされてます。3つのお話しがあったようですが、詳しいことはわかりません。ここでは、まず最初にその内の1つとされている「お梅・お初恋の棚」を紹介します。

 

 お梅・お初恋の棚

 御林(現在の小牧高校付近)に住むお梅キツネと山中藪(現在の間々あたりか?)に住んでいた藤九郎キツネはよい仲でしたが、小牧山の吉五郎キツネがお梅に横恋慕し、無理やり自分の女房にしてしまいました。ところが、下津山(味岡付近?)から若いお初キツネを正妻に迎えたことから、お梅の憤懣が募り、藤九郎と密会するようになります。
 ある時、お梅と藤九郎が吉五郎を闇討ちしようと相談しているところを、空を飛んでいた小牧山の天狗に聞かれてしまいます。天狗は、以前に吉五郎に命を助けてもらった恩があるので、早速吉五郎に知らせました。怒った吉五郎は数匹の子分を連れて出かけますが、すでに助っ人を集めていた藤九郎に散々な目にあわされます。
 今度は、吉五郎は小牧山の子分全員を引き連れて急襲しますが、すでにもぬけの殻、お梅と藤九郎は手に手をとってどこかに行ってしまったのでした。

(小牧叢書17「続小牧山城」収録「小牧山の今昔」)

 

 お初キツネ

 むかし、味岡と小牧との境に白山という小高い丘があり、ここに「お初」という白キツネがいました。お初は、夜になると農家に忍び込んでニワトリを取りました。しかし、すぐには食べずに畑に埋めておきました。そのとき、埋めた場所を「お月様のまっとん」と言って覚えたそうです。「まっとん」というのは、「真ん前」という意味です。ところが、後になってからお月様の真ん前を掘ってもニワトリは出てきません。

 今ではお初も死んで、上新町に「お初稲荷」となってまつられています。

(小牧叢書1「小牧の昔話」他)

 

 お梅稲荷

  お梅キツネは、明治維新の頃の小牧山のボスキツネ吉五郎の愛妾でした。神明社の境内にある「お梅稲荷(御林稲荷)」は、元は小牧高校の講堂の南にあるテニスコートのところにまつられていましたが、大正の末期に神明社に移されました。そのせいか、ここでテニスの試合をするときは、不思議なくらい雨が降ったもので、時には試合が中止になることもありました。

(小牧叢書1「小牧の昔話」)

 

 キツネの嫁入り

 雨が降りそうなある日、小牧山の方角に1つの光がボーと現れたかと思うと、あっと言う間に数が増え、百にも二百にもなった光が小牧山を目指して合瀬川の堤防を進んで行った。これは、嫁をもらった子分キツネが、小牧山の吉五郎親分に挨拶に行く行列なのだと。

(出典不詳)

 

 電車に乗った吉五郎

 昭和初期のお話しです。当時は小牧と岩倉を結ぶ電車がありましたが、岩倉行きの終電車によく若い女の人が乗りました。その女の人は、岩倉に着いても降りないでそのまま小牧に戻ってきて、小木で下車しました。当時、売上のお金の中によく木の葉が混じっていたので、あれは吉五郎ではないかと評判になりました。

 その後、岩倉でキツネが電車にひかれて死んだ事故があり、それ以降はこの女の人は現れなくなりました。

(小牧叢書1「小牧の昔話」)

 <参考>名鉄小牧線を舞台にした似たお話しもあります。

 

inserted by FC2 system